たとえば、こんなご家庭を想像してみてください。
75歳になるお父さんが地方で一人暮らしをしています。首都圏に住む長男は頻繁に実家に帰省し、通院の付き添いや買い物などのサポートを行ってきました。
お父さんは現時点で判断能力も身体能力もある程度は保たれていますが、膝を痛めてからというもの、銀行や役所へ行くのもかなり億劫に感じるように。そして最近、こう話してくれました。
「もしものとき、必要なお金を息子が自由に使えるようにしておけないか?」
実際、お父さんは約1,500万円の預貯金を保有しており、これを将来の介護や生活費、必要な修繕費用などにあてたいと考えています。
このときに考えられるのが、次の3つの手段です。
1.キャッシュカードを長男に預ける方法
この方法は最も手軽で、現実的に多くの方が取っているケースかもしれません。
しかし、法的にはかなりグレーな運用です。銀行は「本人確認」に厳格な対応を求めており、他人がキャッシュカードと暗証番号を使ってお金を引き出すことは、原則として規約違反。万が一のときに補償が受けられないリスクがあります。
また、相続時には「誰が、いくら使ったのか」が明確でないと、他の相続人から不信感を持たれることも。お金の使途が曖昧であると、親子間での信頼が揺らぐ結果にもつながりかねません。
2.家族信託を利用する
ここで登場するのが「家族信託(民事信託)」です。
お父さんを「委託者」、長男を「受託者」とし、信託契約を結ぶことで、お父さんの1,500万円の財産を、長男が管理・支出できるようにします。重要なのは、長男が自分のお金として使えるわけではなく、「信託目的に従って管理する義務がある」という点です。
メリット
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認知症になっても凍結されない:成年後見と違い、裁判所の許可なく、受託者が契約に基づいて動けます。
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柔軟な契約内容:信託の使途や最終的な財産の帰属先も契約に明記可能です(例:「余ったお金は2人の子で半分ずつ」など)。
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受託者の変更や信託終了のルールも明確化できる。
専門家の視点
受益者代理人(次男など)や信託監督人(司法書士など)を置くことで、第三者の目を入れた「見える化」もできます。これにより他の家族も納得しやすく、後の相続争いも未然に防ぎやすくなります。
デメリット
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最初の設計と契約にコストと手間がかかる
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金融機関によっては口座開設に時間がかかることも
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形式上、長男名義の信託口座でお金を管理することに心理的抵抗感がある方もいる
とはいえ、後々の安心感や透明性は非常に高く、多くの実務家もおすすめしている制度です。
3.成年後見制度を活用する
将来、お父さんの判断能力が低下したときに備えるため、あらかじめ「任意後見契約」を結ぶ選択肢もあります。
この場合、長男が「任意後見人」となり、お父さんの財産や契約に関する支援を行うことができます。
メリット
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法的な裏付けと、裁判所の監督がある安心感
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身上監護(施設との契約や医療判断など)にも対応可能
デメリット
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判断能力が落ちてからでないと開始できない
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家庭裁判所への報告義務があり、かなり事務作業が多い
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柔軟性に欠ける部分があり、資産運用などは原則できない
成年後見制度は、法律上のしっかりとした枠組みが必要な場合には有効です。ただし、一般家庭にとっては煩雑であることも否めません。
最適な選択は「人と状況によって違う」
今回のように、「まだ元気だけど、先の不安がある」段階での準備には、家族信託が非常にマッチしています。
とくに、1,000万円を超えるような資産があり、かつ子どもとの信頼関係が築けている場合は、実務上もよく活用されている方法です。
家族の数、財産の内容、判断能力、家族関係──どれか一つでも変われば、最適な手段も変わってきます。
まずは、専門家と一緒に状況を丁寧に整理し、想いに沿った制度設計を考えることが大切です。